人々は聖書の神様に頼ろうとしません。
人は生きていると様々な問題にぶつかりますが、それでも神様に頼ろうとはせず、偶像に頼ったり人に頼ったりします。
しかし偶像に頼っても何も問題は解決せず、かえってその問題はどんどん悪くなるばかりであり、人に頼ってもその人は何もしてくれず、場合によっては裏切られたりもします。
偶像に頼っても人に頼っても、何も問題は解決せず、悩み苦しみが増えていくばかりであり、人生に何の発展もありません。
偶像に頼れば偶像のようになり、人に頼ればその弱みを握られ、後からあれこれと悪口を言われるようになるなど、何も良いことはありません。
人間の力では所詮、鼻で息をしたり、寝たりすることしかできません。ましてや、偶像は鼻があっても自分で息をすることすらできないのです。
一体、それらに何の力があるというのでしょうか。
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(イザヤ書2章22節)
人間に頼るのをやめよ 鼻で息をしているだけの者に。 どこに彼の値打ちがあるのか。
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(詩編115章5〜8節)
口があっても話せず 目があっても見えない。 耳があっても聞こえず 鼻があってもかぐことができない。 手があってもつかめず 足があっても歩けず 喉があっても声を出せない。偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようになる。
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だから、何か問題が起きて苦しいことがあっても、偶像や人に頼ったり自分の力に頼ったりするのではなく、神様に頼ることです。
聖書には、ユダの王アビヤが神様に頼ることで、イスラエルとの戦争に勝利したシーンが書かれています。
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(歴代誌下13章14〜18節)
ユダの人々が見回すと、前方にも後方にも戦いが迫っていたので、主に助けを求めて叫び、祭司たちはラッパを吹いた。 そしてユダの人々は鬨の声をあげた。ユダの人々が鬨の声をあげると、神はアビヤとユダの人々の目の前でヤロブアムとイスラエルのすべての兵を撃退された。 イスラエルの人々はユダの人々の前から逃げ去り、神は彼らをユダの人々の手に渡された。 アビヤとその軍隊は彼らを撃ち、大打撃を与えた。イスラエルのえり抜きの兵士五十万が剣で倒された。 このとき、イスラエルの人々は屈し、ユダの人々は勝ち誇った。先祖の神、主を頼みとしたからである。
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世の人々は何があっても神様に祈り求めて頼るということをしませんが、聖書の時代の人々は当然のように神様に祈り求めて何度も助けてもらっています。
ユダの王アサはクシュ人との戦争に、神様に祈り求めて頼ることで勝利しています。
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(歴代誌下14章8〜12節)
クシュ人ゼラが百万の軍隊と戦車三百両を率いてマレシャまで出て来たとき、 アサはそれを迎えて出陣し、両軍はマレシャ近くのツェファタの谷で戦いの準備をした。 アサは彼の神、主を呼び求めて言った。「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。」主はアサとユダの目の前でクシュ人を撃たれ、クシュ人は逃げた。 アサとその軍隊はゲラルまで追撃した。クシュ人は敗北を喫し、主とその陣営の前で打ち砕かれて倒れ、生き残った者は一人もなかった。持ち帰った戦利品は極めて多かった。
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だから、どんなときでも神様を呼び求めることが知恵です。
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(歴代誌下15章1〜15節)
オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ。 彼はアサの前に進み出て言った。「アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、わたしに耳を傾けなさい。あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちに御自分を示してくださる。しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる。 長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった。しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らに御自分を示してくださった。 そのころこの地のすべての住民は甚だしい騒乱に巻き込まれ、安心して行き来することができなかった。 神があらゆる苦悩をもって混乱させられたので、国と国、町と町が互いに破壊し合ったのだ。 しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。」
アサはこの言葉と預言者オデドの預言を聞いて、勇気を得、ユダとベニヤミンの全土から、またエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の前廊の前にある主の祭壇を新しくした。 こうして彼はユダとベニヤミンのすべての者およびエフライム、マナセ、シメオンから彼らのもとに身を寄せている寄留者たちを集めた。彼の神、主が彼と共におられるのを見て、イスラエルから多くの者が彼のもとに投降した。 アサの治世第十五年の第三の月に、彼らはエルサレムに集まった。 その日彼らは、分捕って引いて来た雄牛七百頭、羊七千匹を屠って主にささげた。 そして彼らは、心を尽くし、魂を尽くして先祖の神、主を求め、 子供も大人も、男も女も、イスラエルの神、主を求めない者はだれでも死刑に処せられるという契約を結んだ。 彼らは大声で叫び、ラッパと角笛を吹いて主に誓った。 ユダの皆がこの誓いを喜び祝った。皆が心の底から誓い、喜んで主を求めたからである。主は彼らに御自分をお示しになり、主は、周囲の者たちから彼らを守って、安らぎを与えられた。
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しかしこのあと、イスラエルの王バシャがユダの王アサに戦争を仕掛けてきたのですが、このときアサは神様に頼るのではなく、アラムの王ベン・ハダトという人に頼ってしまいました。
それによってアサには不利益が生じてしまいます。
また、3年後には足の病気にもかかってしまいますが、それでも彼は神様に頼ろうとはせず医者に頼り、結局2年後には死亡しました。
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(歴代誌下16章)
アサの治世第三十六年に、イスラエルの王バシャはユダに攻め上って来て、ラマに砦を築き、ユダの王アサの動きを封じようとした。 アサは主の神殿と王宮の宝物庫から銀と金を取り出し、ダマスコに座を置くアラムの王ベン・ハダドに贈って言った。 「わたしとあなた、わたしの父とあなたの父との間には同盟が結ばれています。わたしはここに銀と金をあなたにお届けします。イスラエルの王バシャとの同盟を直ちに破棄し、彼をわたしから離れ去らせてください。」 ベン・ハダドはアサ王の願いを入れ、配下の軍の長たちをイスラエルの町々に送り、イヨン、ダン、アベル・マイムおよびナフタリの町のすべての補給基地を攻略させた。 バシャはこれを聞くと、ラマの構築をやめ、その作業を中止した。アサ王はユダの人々を総動員して、バシャがラマ構築に用いた石材と木材を運んで来させ、それを用いて、ゲバとミツパに砦を築いた。そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。 クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか。 主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」 アサは先見者のこの言葉を聞いて怒り、彼を獄に投じた。この事で彼に対して激しく怒ったからである。またアサはそのとき、民の中のある者たちを虐待した。
アサの事績は、初期のことも後期のことも、『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。 アサはその治世第三十九年に足の病にかかり、その病は極めて重かった。その病の中にあっても、彼は主を求めず、医者に頼った。 アサはその治世第四十一年に先祖と共に眠りにつき、死んだ。 彼はダビデの町に掘っておいた墓に葬られた。人々は特別な技術で混ぜ合わせた種々の香料の満ちた棺に彼を納め、また彼のために非常に大きな火をたいた。
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だから、最後まで神様の愛と力を信じて神様に頼るということが本当に重要であり、神様に頼らないということは本当にもったいないことなのです。
神様は「自分に頼ってほしい」といつも思っているので、逆に、神様に頼らなければ神様は心を痛め、その人には災いに次ぐ災いが続きます。
なので、積極的に何でも神様に頼ることが知恵です。
ユダの王ヨシャファトも神様に頼ることで何度も助けられています。
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(歴代誌下18章31〜32節)
戦車隊の長たちはヨシャファトを見たとき、「これこそイスラエルの王にちがいない」と言い、彼を包囲して攻めかかろうとした。ヨシャファトが助けを求めて叫んだので、主は彼を助けられた。すなわち神は彼らをヨシャファトから引き離された。戦車隊の長たちは、彼がイスラエルの王ではないと知り、追うのをやめて引き返した。
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(歴代誌下20章1〜30節)
その後、モアブ人とアンモン人が、メウニム人の一部と共にヨシャファトに戦いを挑んだ。 人々が来て、ヨシャファトに、「死海のかなたのエドムから大軍が攻めて来て、ハツェツォン・タマル、つまりエン・ゲディにいます」と告げると、 ヨシャファトは恐れ、主を求めることを決意し、ユダのすべての人々に断食を呼びかけた。 ユダの人々は主を求めて集まった。ユダのすべての町から人々が主を求めて集まって来た。ヨシャファトは主の神殿の新しい庭の前でユダおよびエルサレムの会衆の中に立ち、 こう祈った。「わたしたちの先祖の神、主よ。あなたは天にいます神、異邦人の国をすべて支配しておられる方ではありませんか。御手には力と勢いがあり、あなたに立ち向かうことのできる者はいません。 わたしたちの神よ、あなたはあなたの民イスラエルの前からこの地の先住民を追い払い、この地をあなたの友アブラハムの子孫にとこしえにお与えになったではありませんか。 彼らはここに住み、ここにあなたの御名のために聖所を建てて言いました。 もしわたしたちが裁きとして剣、疫病、飢饉などの災いに襲われたなら、この神殿にこそ御名がとどめられているのですから、この神殿の前で御前に立ち、苦悩の中からあなたに助けを求めて叫びます。あなたはそれに耳を傾け、救ってください。今、アンモン人、モアブ人、セイルの山の人々を見てください。かつてイスラエル人がエジプトの地から出て来たとき、あなたは彼らの土地に入って行くことをお許しになりませんでした。そのためイスラエル人は、彼らを避け、滅ぼさずにおきました。 御覧のように、今彼らはわたしたちに報いて、あなたがわたしたちにお与えになったこの土地から、わたしたちを追い出そうと攻めて来たのです。 わたしたちの神よ、彼らをお裁きにならないのですか。わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません。」
ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた。 その会衆の中で、アサフの子孫のレビ人ヤハジエルに主の霊が臨んだ。ヤハジエルの父はゼカルヤ、祖父はベナヤ、更にエイエル、マタンヤとさかのぼる。 彼は言った。「すべてのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、よく聞け。主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。 明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。 そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。』」ヨシャファトは地にひれ伏し、すべてのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して、主を礼拝した。 レビ人のケハトの子孫とコラの子孫は立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。 翌朝早く、彼らはテコアの荒れ野に向かって出て行った。出て行くとき、ヨシャファトは立って言った。「ユダとエルサレムの住民よ、聞け。あなたたちの神、主に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生かされる。またその預言者に信頼せよ。そうすれば勝利を得ることができる。」 彼は民と協議したうえで、主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」彼らが喜びと賛美の歌をうたい始めると、主はユダに攻め込んできたアンモン人、モアブ人、セイルの山の人々に伏兵を向けられたので、彼らは敗れた。 するとアンモン人とモアブ人は、セイルの山の住民に立ち向かい、一人残らず討って、全滅させた。セイルの住民を絶やすと、彼らは互いに戦って自滅した。 ユダの人々が荒れ野を見渡せる所に来て、大軍のいた方を向くと、その地には死体が横たわり、生き残った者は一人もなかった。ヨシャファトと軍隊は戦利品を奪うために来て、多くの家畜、装備、衣類、宝物を見つけ、運ぶことができなくなるまで取り去った。戦利品は多く、それを奪い去るのに三日かかった。 四日目に、彼らはベラカの谷に集まった。そこで主をたたえたので、その地名はベラカ(たたえること)の谷と呼ばれ、今日に至っている。ユダとエルサレムの人々は皆、ヨシャファトを先頭にして喜び祝いながらエルサレムに帰った。主が敵を破って、彼らに喜びを与えられたからである。 彼らは琴と竪琴を奏で、ラッパを吹き鳴らして、エルサレムの主の神殿に入った。 主がイスラエルの敵と戦われたということを聞いて、地のすべての国がどこも神への恐れに襲われた。 ヨシャファトの王国は平穏で、神は、周囲の者たちから彼を守って、安らぎを与えられた。
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自分の力ではどうしようもない問題のことで、悩んだり、不安になったり、心配になったりするのではなく、それらは全て神様に委ねて、神様に解決してもらうのです。
神様に解決してもらおうとせず、否定的な考えを持って落胆していてはサタンの思うつぼです。
なので、そういった考えは全て捨てて、肯定的な考え、つまり心の中が、喜び、希望、感謝に満ち溢れるまで徹底的に毎日信じて祈り求めるのです。
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(箴言28章5節)
悪を行う者らは裁きを理解しない。主を尋ね求める人々はすべてを理解する。
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イエス・キリストも「あなたが信じた通りになる」と言っています。だからいちいち落胆して、心配する必要などないのです。信じなければ信じなかった通りになります。
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(マルコによる福音書11章22〜24節)
そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
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(マタイによる福音書17章19〜20節)
弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
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神様は必ず皆さんの祈りを叶えてくださいます。神様が裏切ることは絶対にありません。必ず幸福へと導いてくださいます。それを信じて心から祈り、物事を肯定的に考えて生きることです。聖書にもこう書いてあるではありませんか。
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(歴代誌下19章7、9、11節)
今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」
ヨシャファトは彼らにこう命じた。「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ。
主に関する事柄についてはすべて、祭司長アマルヤがあなたたちの上に立って責任を負い、王に関する事柄についてはすべて、ユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤが責任を負う。レビ人が書記としてあなたたちの補佐をする。勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるように。」
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(テサロニケの信徒への手紙5章16〜20節)
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。 預言を軽んじてはいけません。 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。 あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
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(エフェソの信徒への手紙6章10〜11節、18節)
悪と戦え
最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
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だからまずは、心から神様のことを信じて、様々な悩みを神様に打ちあけ、切実な思いで神様に祈ってみてください。
神様は必ずあなたのことを助けてくださいます。
○何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします。自分の人生も世界の運命も変える鍵がここにあります。
○自分の身に降りかかるどんな問題も解決し、どんな祈りも叶い、性格も生活も変えられる神様の御言葉の凄まじい威力(十二弟子・サキさんの証)
○神様の愛と力を強く信じて祈り求めるなら、神様は大きなことから小さなことまで、私たちのどんな祈りも叶えてくださる!!(十二弟子・サキさんの証)
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